日々物忘れ。

備忘録的ななにか。

優しすぎて、怖い

 ジョイ・フィールディングの小説ではなく、映画『さいはてにて』の感想。
 この映画が描いているのは、それぞれ傷を負った人々が、とある珈琲店(喫茶ではなく豆売り)を軸に、優しさで繋がっていく絆だ。とは言っても、どろどろとした愛憎劇だとか、濃密で粘着質な人間模様だとか、そういった要素は一切無い。
 青をベースカラーに据え、能登の美しい海岸風景と対比するように、出てくるキャラクターは皆どこか冷めていて、田舎にありながら都会的なドライさを醸し出している。こういう記号化された空気感は結構好き。
 けれどもというか、それ故にというか、描かれる人間関係はひたすら薄い。記号同士の主張が均一であり客観的すぎて、感情移入ができない事は無いまでも、ともすればすべてが空気になってしまう。
 それだけならまだいいのだけれど、この作品は更に致命的な事に、主題とする絆にも映画を構成する要素にも現実感が希薄すぎるという問題を抱えている。
 主人公に生活感はなく、経済的困窮から家庭問題に揺れるご近所さんは全然困窮してるように見えず、母親はネグレクトしながら我が子のかわいさを説き、主人公を襲う暴漢は「警察が来るまで30分」とか意味不明な事をのたまう。田舎の泥臭さなんて微塵もない書き割りの風景の中、誰もが不幸顔とは無縁で、そもそも背景を深く掘りさげはしないので口で言うほど不幸なのかすらわからない。ラストのカタルシスへと繋げるために視聴者の精神的苦痛に訴える描写や要素をことごとく排除した結果、不気味で怖いくらい「優しい」世界ができあがってしまった。しかもドライに。
 どんな突拍子もない夢物語にも一片のリアリティが無ければ与太話、というわたしの持論から言えば、本作は面白いだとか、まして他人様にオススメとかは到底できかねる超駄作。これはイメージだけで作り上げた消費される映画に過ぎない。ドライさはなくなるけど、いっそ娼婦の意味での「ヨダカ」を押し広げた方が物語は広がったんじゃないかな。
 でもキライじゃないんだけどね。

 まったくの余談だけど、「」の美しさで『グラン・ブルー』と『ACRI』を超える映画は、今のところ無いと思う。