日々物忘れ。

備忘録的ななにか。

再開の辞 ~東日本大震災に寄せて~

 2011年3月11日のあの日。
 津波予報が流れると、わたしは食い入るようにNHKを視ていたように思う。初めて見る事になる津波に、正直少しわくわくしていた。けれども予測時間になっても津波は来ず、がっかりして一旦自室に引き上げた。
 20分くらい経たっだろうか、テレビの前に戻って驚いた。さっきまで穏やかだった画面のそこかしこに大波が寄せ、建物を押し流し、田畑を浸食し、逃げる車を直撃して、なおも飽くことなく内陸へと勢力を広げていく。様々な物をその腹に呑みこんだ水はあたかも動くゴミの山で、それはもはや水ですらなかった。わたしはといえば、テレビ画面に次々と映る惨状を視て「うわーうわー」を連呼しながらも、津波とはこのように被害を広げるのだとどこか冷静に考えてもいた。感情と理性のバランスを欠いていたのかもしれない。
 一段落つく間もなく、今度は福島原発の危機へと騒ぎが拡大し、日本は静かな狂騒状態に入ったように思う。連日飛び込む被災地の状況、死者の数、瓦礫の山、予断を許さない原発、余震の恐怖。TDLの付近で液状化現象もあったし、輪番停電もあったっけ。「想定外」という言葉が流行り、東電の実体に呆れ、民主党政権の無能を痛感し、「東日本大震災をお祝います」韓国の本性を見せつけられた。
 一言でいえば、どんより暗い毎日だった。

 あの震災から5年の歳月が流れた。復興は道半ばで被災者の多くはその傷が癒えたとは言えない。この体験を少なからず共有した日本人は、これまでを、そしてこれからをどう思うのだろう。
 凄絶な体験を、忘れたい人がいる。忘れられない人がいる。忘れたくない人がいる。そのどれもが真であり、どれも間違ってはいないと思う。
 ただ、忘れてはならない、なんてしたり顔で押しつけがましくいう人がいたら、それは嘘っぱちだ。自分の不幸に他人を巻き込み、「被災」というレッテルを貼りたがる輩だ。

 わたしはどうしようか。
 5年という区切りだし、いっそ忘れてしまおうか。
 教訓や想い出を忘れる必用はないし忘れる事はできないけれど、悲しい記憶を延々と繰り返して自分を傷つける必用もまた無いと思うから。そして立ち直ろうとする、あるいは立ち直った被災者の方々から、私自身が勝手に貼り付けていた「被災者」というレッテルを剥がすためにも。

 2016年3月10日。
 今日でわたしの東日本大震災は終わる。